小 熊 座 沈黙の力ほか   高野ムツオ
TOPへ戻る  INDEXへ戻る


 
  

  佐藤鬼房絵はがき
  山田美穂さん提供


    
   

   鬼房・沈黙の力ほか       高野ムツオ



   切り株があり愚直の斧ががあり    佐藤 鬼房

  俳句定型の強みとは、沈黙に向かう言葉を創出すると
 ころにある。言葉とは、日常的次元では、いつ、どこ
 の、だれの、なんであるかを伝えるためのものでもある

 が、俳句における言葉は、そうした日常的な言葉として
 の機能からは、もっとも遠い次元に立ち表れる。

  揚句では、この切株がどこの森にあり、斧が誰のもの
 であるかなどといった現実における意味性をまったく必
 要としない。いや、それどころか、そうした現実的な意

 味付けを拒絶している。そして、切株はまさに切株とし
 て、愚直と名指しされた斧は、まさにその愚直を体現す
 る存在として、それ以外の、いっさいの爽雑物や意味付

 けを拒絶し、そのまま読む者の心の奥に入り込む。切株
 と斧以外はすべて沈黙してしまう世界の創出。饒舌
 (じょうぜつ)とはまったく隔絶した世界。そういう世界を生む
 力が俳句定型には存在する。

   雪兎雪被て見えずなりにけり         佐藤鬼房


  また俳句の言葉は、物を客観的に描いているようで
 も、円環して、ついには自己に戻ってくる。それは俳句
 の言葉が、前述したようにアプリオリにきわめて非現実

 的な空間にあり、そこに何の手がかりもなしにいきなり
 投げ出されているゆえである。言葉はその不安定性ゆえ
 に、意味を求めてさまよいだす。ここでは、雪兎はまず

 生きている兎なのか、雪で作られたものなのか。そし
 て、どちらであれ雪を被って見えなくなった兎はどこへ
 いったのか。読み手はそういう想像力の彷徨の果てに、

 そんなことの詮索は、この句には何の価値もないことに
 気づく。そして、たどりついたところに、雪兎と一体と
 なって、己れの行く末を凝視している作者を発見する。

 それを言葉の象徴作用とか喩化と呼ぶが、かくて俳句定
 型における言葉は、その言葉全体のまま作者と重なり合
 う。

    遠山に目の当りたる枯野かな     高浜虚子
           
  だから、この人ロに膾炙(かいしゃ)された句も、現実の
 景でありながら、同時に作者自身の心象として立ち表れる。

    馬の目に雪ふり湾をひたぬらす     佐藤鬼房

  馬の目という極小の世界から始まり、湾という広大な
 世界へとひろがる雪の無限性。俳句の五・七・五という
 表出機能は、その単純さゆ、え、大小、遠近、ミクロマク

 ロの世界を二塀のうちに対比させる。そして、その対比
 のうちに、一編のスペクタクルに相当するスケールの大
 きい世界を現出させる。揚句の場合は、ズームアップさ

 れた馬の目がみるみるうちに湾に変幻していく錯覚の中
 に、雪の無限静寂と、ささやかな、しかし、たしかな馬
 の生命力が一体化して伝わってくる。こうした純化され

 た世界の構築も、俳句定型の極度に単純化された構造ゆ
 え可能となることだ。

     陰に生る麦尊けれ青山河        佐藤鬼房

  そうした言葉の象徴力は、さらに重層的な世界を開
 く。この句は、いったん、一.椴的な意味の了解を拒絶す
 る。それは「陰に生る麦尊けれ」という世界の不可解き

 に起因する。なぜ、なにゆ、告向ではなく、陰の麦が尊
 いのか。読み手の思考は、またしても、言葉と言葉の間
 を渉猟しはじめる。読み手が、この句が、『古事記』の

 オオゲツヒメの逸話、つまり死ぬ時に頭に蚕、目に稲、
 耳に粟、鼻に小豆、尻に大豆そして、陰に麦を生ずる女
 神の話を踏まえていると知ることで世界は一変する。

 いや、それを知らなくてもこの「陰」が女陰であることに
 気づくだけでも十分だろう。すると、女体の中心部から
 生えた麦が見え、さらには、なだらか青井大地が豊か

 な女体と重なりあって見えてくる。かくて、麦がこの世
 に生まれ出た原始から今日只今までの悠久の時間を感じ
 とることができる。こうした重層的な想像喚起力もま
 た、俳句形式の持つ力。

    死後のわれ月光の瀧束ねゐる     佐藤鬼房

  鬼房が俳句形式に求めたもの。それは死と対時しなが
 ら死を超えて生きる力を授かることであった。だれにと
 っても死は未知の世界。人間に生きることができるの

 は、生きる間に観念として想像する死のみである。しか
 し、鬼房は、五・七・五というたった十七音に、自らの
 死後までを託した。俳句という最短の詩型に、かつて古

 代人が言霊を信じたと同じ力を求めた。それは、だれに
 でも可能至とではないだろうが、これもまた俳句定型
 の持つエネルギーであろう。

   ここまで、佐藤鬼房の俳句を俎上(そじょう)に、俳句の
 定型の力について触れてきた。だが、これらは定型の力の

 ほんの一端、鬼房の俳句からももっと多様な力を読み取る受
 ができるのもまた自明だが、その他にも、まだ、だれも
 が発見できないでいる力をも俳句定型は秘めている。
        
                     (初出「俳句」二〇〇三年四月号)



パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
  copyright(C) kogumaza All rights reserved